咲-Saki-第14巻の新資料により、小鍛治健夜プロの出身小学校が舟塚山小であることが明らかになりました。

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舟塚山とは、ふくよかにすこやかにの舞台=高浜、の西側にある北根本という地区にある古墳の名です。
実在する小学校でここに最も近いのは、高浜地区の高浜小学校です。
前の探訪記ではこの高浜小がすこやんの母校のモデルではないかと書きました。
特定されている聖地が、だいたいその周辺にありますから。
ただ、古墳とは微妙に距離があります。

予習

舟塚山古墳は関東第二の大きさを誇る、巨大古墳です。
大阪の仁徳天皇陵によく似た前方後円墳で、一代前の応神天皇の時代の初代茨城(うばらき)国造筑紫刀禰(つくしとね)(天津日子根命の子孫)が埋葬されているという説があります。
刀禰の子孫は壬生連、湯坐(ゆゑ)連として茨城国造を世襲しました。
ちなみに筑紫刀禰から刀禰という地名ができて、それが現在の利根川の語源だそうです。

茨城国というのはあまり聞かない名前ですが、古代には筑波国、茨城国などという国があったようで、それら現在の茨城県に相当する国々は、ある時期から日高見国の郡とされています。(日高見国とは具体的な国名ではなく、蝦夷と同様、未開拓の東国を指した言葉のようです)
茨城郡は更に大化の改新後、律令によって常陸国に組み込まれました。
ただし、近世以降の茨城郡は北にずれて、石岡は新治郡に含まれることになります。
茨城郡(古代茨城国)の枢要部は高浜にあったとされますが、再編後の常陸国府も高浜から約3kmの総社1丁目にあり、石岡小学校の校庭地下には国府遺蹟が眠っています(昭和四十五年の建替工事で発見され、その後平成十三年から十九年に本格的な発掘調査が行われ、埋め戻された)。

ざっとそんな予習をしまして、いざ探訪へ!

前回の探訪にはタブレットを持って行ったんですが、かさばるので今回はガラケーにしました。
初めて高浜に行ったとき画質の設定をうっかりしてせっかく撮った写真が使い物にならなかった悲しい教訓を生かし、画像サイズを大きめにしておきました(準備万端)。

舟塚山古墳

国道6号線からだと貝地の信号を東に曲がり、道なりで約2km。
高浜駅の方からだと県道118号線を西へ1km弱のところに見学者用の小さい駐車場があります(トイレあり)。
徒歩なら、駅から15分くらいでしょう。
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これは駐車場ではなく古墳への入り口↑
駐車場(標柱の少し左側にあります)も撮影したんですが、うっかりガラケーの保存ボタンを押すのを忘れてしまったみたいで…(以下同文が結構あります 笑)

この狭い道に入ります。
幅が狭い上に地元の方の車が結構通りますので、邪魔にならないよう気をつけます。
200mほど行くと、ん…これかな?という丘が見えてきます。
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赤い矢印の先にちょこっと覘いてるのが古墳の後円部分。
木の繁っている場所に鹿島神社という小さなお社があり、その左脇から古墳に上れます。
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鳥居脇の説明板。拡大すればなんとか読めるかな?


では、見学コースへ。
細い枝で土を塞き止めただけの階段は昨日までの颱風の影響で少しぬかるんでいて、滑りそうでヒヤヒヤしました。
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コースと言っても古墳に上ってしまうと芝生が広がっているだけで、どう歩いてもいいんですが。
ただ眺望を愛で、古代のロマンに思いを馳せつつ漫歩する、そんな場所です。
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颱風一過で空気が澄んでいるためか、筑波山がよく見えます。
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前方最端から後円を見たところ↑
写真の腕がヒドいため伝わりにくいんですが、超すごかった(文章力もヒドい)

舟塚山、という字面は、大規模な廃船場、を連想させます。
かつて浪逆(なさか)の海と呼ばれていた霞ヶ浦の湖畔の大集落にあっては、造船業が存在し、役目を終えた船を祀る場所が必要だったのでしょう。
廃船は鄭重に葬られ、美しく組み上げられて、後世、筑紫刀禰の墳墓の基礎になったのかもしれません。
主体部の発掘調査はなされておらず、こうした妄想の余地があります。

しかし咲-Saki-ファンにはもう一つ、思うことがある!
この古墳の名を冠した小学校を卒業したプロ雀士は、在学中、ここに遠足に来ていたに違いない。
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このへんにシートを敷いて、納豆おにぎりを頬張っていたに違いない。

ちょっと足を滑らせて、斜面を転がり落ちたに違いない。

爽がカムイに助けられたように、何かに助けられ、力を得たに違いない。

それから何でも解決して気味悪がられたりしたけど高三になって土浦女子の同級生からメンバーが一人足りないのお願い小鍛治さん!と頼られて麻雀を始めたに違いない。

・・・

石岡市立ふるさと歴史館

お次は先述の総社1丁目、石岡小学校敷地内にある、ふるさと歴史館(入館無料、旧称民俗資料館)へ。
古墳の出土品が展示してあるらしいので、ぜひ見ておきたかったのです。
舟塚山古墳から車だと10分もかかりませんが、徒歩ではちょっとキツいかもしれません。
市街地なので、石岡駅からは近いです。

小学校の敷地に入っていく不審者。
ちょうど配達のトラックが来ていて、給食のおばさんに目撃されます。HEHE…ドーモ
歴史館はその給食室の対面にありました。

入口で訪問の記帳をすると、受附の方に当方の颱風被害を問われたので、何もありませんでしたと答えました。
石岡では恋瀬川が少し危なかったようです。
今回高浜には寄りませんでしたが、大丈夫かな…

さて撮影許可を頂いて、見学へ。
小ぢんまりとした空間ですが、想像していたよりは充実していましたかね。

館内にはさっき見てきた舟塚山古墳からの出土品は残念ながら展示されておらず、ただ舟塚山古墳群と総称される周囲の遺蹟からの出土品が若干見られました。
時系列は大体同じなので大きな違いはないと思いますが。
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石岡市HPなどで見た円筒埴輪の破片──すこやんの背後にうごめくアレ、に少し似てるかも?
と思っていたのですが、実物を見ると、あ、違うわ。という印象を持ちました。

二階もどうぞと勧められたので上ってみましたが、こちらは比較的新しい時代の史料が中心で、すこやすこやしたところは見受けられませんでした。

おまけ・ふくすこ聖地+α地図

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上の地図で、県道118号線を上に行くと石岡市街地、霞ヶ浦は右側です。

なお
聖地①:十年前の日本最強女子高生が下界を見下ろす?ポイント
聖地②:こーこちゃんが車を走らせている道
聖地③:踏切
以上、すべて「ふくよかにすこやかに」に登場する聖地です。

【参考文献】風土記(小学館日本古典文学全集)、常府石岡の歴史(石岡市教育委員会)